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 選ばれて入った組織において、私の性格や性質が周りの人々のそれらと異なるということは、私が必要とされているということ。私が他の誰かと全く同質の人間ならば、私はいらないのだ。だから私は、周囲と同質になるべく努めるべきではない。(周囲の人々の性格・性質を最大限利用する努力はすべきだが。)

 極めて同質性の高い団体の中で、異質な分子だと自分で感じる私が出来ること…居心地が悪いからこそ出来ること…それは無限大に広がっている…はずだと信じたい。
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 最近同じような内容が繰り返されているように思う。ウォッチャーには大変申し訳なく思う。バリエーションをつけていきたいところだが、それだけ悩みが深いということだろう。

 社会に出るということは、社会の価値観に迎合するということ。社会に出た以上、難しいことは考えず、綺麗な言葉を並べ立て、社会で評価される人間になりたい。「棄理」の二字を忘れてはならない。
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 私は、自分の言っていることが少しでもおかしいなと途中で思ったら、そこで口が止まったり、訂正したりしてしまう。周りがおかしさに気付けない状況においては、おかしいと思わない人が一番強いのは言うまでもないが、おかしいと思ってもごまかしを施せる人も強い。

 おかしさに気付かない人にはなれないので、おかしさをごまかせる人になりたい。それが大人なのだろう。欺瞞に満ちた社会である。
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 自分が馬鹿なのか周りが馬鹿なのか分からない。大丈夫だろうか。
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 「恋空」を観て、私は「世界の中心で愛を叫ぶ」の新しさに、改めて気付かされたのだった。セカチューが描いたのは、タイタニックや恋空に描かれた「事故や病という極限状況における純愛」だけではない。「恋人の死後どう生きるか」という重い課題だったのだ。

 タイタニックだって恋空だって、恋人が死んだ後、何故か残された側は立ち直り、幸せそうである。片やセカチューにおいては、主人公は死んだ恋人を引きずり、悶々とした日々を過ごしていく。残されたのが男か女かの違いが大きいのかもしれないが、男でありしつこさが売りである私にとっては、セカチューの方に共感出来る部分がかなり大きいのだ。

 フツーに体が健康ならば、精神が苦しくとも人生は長い。「恋人の死からどう立ち直るか」は、この上なく大事なことだ。純愛小説と言われるセカチューが描いたのは、純愛そのものというよりも、その場限りの純愛に対するアンチテーゼだったのかもしれない。

 残念ながら、セカチューの主人公・サクがどういった形で立ち直ったのか、私はよく覚えていない。ドラマ(山田孝之・綾瀬はるかバージョン)は全部観たが、映画(森山未來・長澤まさみバージョン)は飽きて途中で返してしまった。今一度、どう立ち直ったのか、見てみたくなった。今の私には、それが必要な気がする。
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